成長と貢献
成長と貢献
成長は個人の長所を伸ばしていき、強みとしていくこと。
ただ、シーキューブでは、成長しただけでは、チームの中でリーダーを務めることができない。
成長したのに上に立てないのは厳しい言葉のようですが、社会人としては当たり前のことです。
自分だけが成長して、自慢しているレベルではまだまだ仕事ができたとは言えません。
誰かの役に立ち、成果の対価として誰かが喜ぶと言う所まで行って初めて仕事です。
成長した強みを持って、誰かの役にたつこと。
それはお客様だけに限らず、
社内のスタッフであったり仕事を教えてあげると言うことであったり、
業者さんが仕事のしやすい環境を作ったりなどなど。
毎日、自分、周り、お客様、職人さん、社会のため、
貢献、役に立つということを考え具体的に動いていく人が
結果としてより成長し地震が増えていくと言うこと。
そんな視点で毎日を過ごしていきたいと思います。
年度が替わって
3月が終わって4月。
会社としては一つの節目を迎え過去1年の会社の状態を数字でマークします。
数値の把握は、これから行うことは、過去から見て、より続けていっていいことなのか、それとも見直すべきことなのか。
この1年の通知表のようにして、自分たちがやってきたことが正しく行えてきたのか客観的に把握することができます。
また会社を持続させることに価値があり、それは家を建てることを依頼してくださったお客様の30年後50年後100年後の家守りのためにも継続的な会社が必要です。
会社の売上自体はありがとうの総量。
喜んでいただける仕事を継続的に行っているからこそ指示していただける。
会社に生み出される利益は、自分たちの仕事のやり方の工夫の総量。
頑張ったとしても工夫の仕方を間違うと利益は出にくくなります。
売上、利益は企業を上質にしていく指標でありますが人が成長していっている指標でもあると思います。
住宅会社であるシーキューブ、私たちの企業のある価値は、
ご家族様が家族の絆をより深めることができる舞台づくりのお手伝い。
ここでは家という舞台であるハードの部分と、
家をつくって行く時に、家族の生活のあり方や、
価値観の違いなどを一緒にプロセスとして楽しむソフトの部分とがあります 。
家族の絆をつむぐこの使命を果たすこと、
このミッションを磨いていくことを誓い、また新しい年度を迎えます。
私たちシーキューブは、創業47年(旧社名 安本建装)
法人改組20周年(現社名シーキューブ)を迎え、
鮮度を上げ、自分自身の今に、安定満足することなく、
挑戦し、さらなる価値を磨き続けていきます。
「終わり」について
年度末。
終わりよければ全てよし。
いろいろあったとしてもそのように表現する言葉があります。
日々多くの時間の中でたくさんの経験をする中で、
この「終わり」をどれだけ整えていけるように考えているのか。
周りに対して整えることができているのか。
年度の最後を迎える上で、
12月年末に、お正月迎えて考える時と同じ位、
事業年度の3月の終わりには考えさせられます。
節目節目をいい加減にすることなく、
必ず振り返りを行い、
去年残っていたものを新しい年にはどのように取り組んでいくのか。
放っておく癖をつけてしまうと、自分の人生もそのようになってしまうと思います。
この1年与えられた条件、差し出された環境。
それを生かし切れたのか。
どれだけ環境、条件に文句をつけ、愚痴を言っても、何も結果が変わるものではないです。
こうだったらよかったのにななど、条件を変えて今の結果から逃げるのではなく、
でてきた成果に向けて、よりよく自分のやり方、在り方を変えていくことが大切です。
どんな工夫をするのか。
どのように今あるリソースを生かしているのか。
どんな成長求めていくのか。
自分自身の力を臆することなく、信じ、
周りのスタッフの成長できる力を発揮できることを考えていくこと。
周りの人、今よりも幸せな所へ導ける人になりたいと思います。
そんな人は少なくとも周りの人や環境や、条件のせいにはは絶対にしないと思います。
その目標へ到達できなかったとしたならば、
自分の能力がなかったのか、周りにいる人たちの能力を発揮させることができなかったのか
ただ単にサボっていたり、やり方の工夫をしなかったのか。
この2つ。
自分も周りにいる人も能力があると思っているので、
サボることなく実行力を持ち、やり方の工夫をし続ける。
来期に向けて成長できる機会、チャンスをいただけていること。
今ある出来事、プロセスに感謝を。
この感覚を大切にしていきます。
時間の使い方
「撃て、狙え、構え」の順番で。
言葉は包丁以上かも
言葉
包丁使って、おいしい料理をつくる料理人は楽しい時間を提供する。
包丁使って、振り回して、人への危害、殺傷までもの使用を行う人は、恐怖も与える。
言葉も同じ。いやそれ以上かも。
楽しい気分、嬉しい気分、もっと頑張ろうと思える言葉。
もういやだ、関わりたくない、もしくはほんとうに死にたいとまでも思わせる力の言葉まで。
人と話す言葉は、包丁の取りあつかい同様に、丁寧に、ひとつひとつにまで心を配って。
そして、自分との対話も。
口癖や一人ごとや心のなかの言葉は、誰かを傷つけないと思って不用意にしたとしたならば自分の思考に返ってくるもの。
人はいつも口にしていること、いつも思っていること、いつも考えていること、の専門家になれます。四六時中考えていることに長けて、プロフェッショナルになれる。
「めんどくさい、めんどくさい」を常に思う人は、めんどくさいの専門家になれる。
「しんどい、しんどい」といつも言っているひとは、今日のしんどさは10点中6点かなどと、どんどん詳しくなることができる。
いつも、楽しいことはどんなこと?と考えている人は、楽しいことをたくさん見つけることができるでしょう。
誰かが喜ぶようなことは?いつもその視点を持っている人とは、誰もが人が寄ってくるような人物でとなっていることでしょう。
きれいなもの、美しいもの人間の精神を高めてくれるようなものだけを、
自分の頭と心に入れるものがいっぱいになり、そんな言葉ばかりが溢れてくる人。
そんな生き方を選択することが、決められのは自分だけ。
自分が決めるだけでいいのであれば簡単なこと。
そうあり続けるよう、言行一致。
考えるとき、話すとき、思想にふけるとき、いつも明るい、自分の心を鼓舞させるもの、清らかに感じるものに溢れ出でる時間として過ごして生きたいです。
感じる感情に注意
感情が鋭敏な人と、感情が振れやすい人とは、全く別の人です。
感情が鋭敏な人は、相手の気持ちが今のどの状態か?本当に欲しいと想っていることは何か。言葉ではそういっていても、心のほうも一致しているのかを心眼として持とうと心がけている人。
感情が振れやすい人は、自分の感情をそのままに出し、周りの人がどの様な感情を引きおこすのか、はそこまでは知らないよという人。
感じる力は同じであっても、自分なのか?他者なのか?はおおきな違い。
感じる力が同じくありながら、人生を豊かに生きれる人と、貧しくなってしまう人。
起きた現実に対し、起きた当事者同士に対し、どちらの目線で捉え、解釈できるのかで幸せになる人と、そうでない人の分かれ道の人生になると思っています。
せっかくの感じる心、感情。
きれいなもの、美しいものへ心を置く。
自分が振り回されることなく、周りへ配慮できるほうへ心を置き、自らの感性、気づきから、精神を高められるものにフォーカスしていくよう注意していきたいです。
迎春。
新年あけましておめでとうございます。
本年も、感謝をたくさん感じさせていただくご縁の1年として、よろしくお願い申し上げます。
1日は、朝のスタートでその日が決まっていくように、
1年は、1月1日の在り方が大切。そのように感じます。
新たな気持ちでこの1年の在り方を日の光と一緒に想いを馳せ、
朝風呂に入り、ご先祖様にご挨拶をする。
昨年から家族として増えた芝犬と少し遊んで。
そんなルーテインな動きと、新鮮な気持ちとの対話。
今年、向かうべき試練に挑み、必ず動かしてみせると心に決めてのスタートです。目の前に与えられる現実に、全部の力を出し切っていける1年としていきたいです。
清らかに、ひとつひとつに感謝を持ち、
ありがとうと言ってもらえた、ありがとうを言ったの総量が人生で一番多い環境をつくいっていく1年、そして今日1日として過ごしていきます。
仕事をしていて幸せな人と、不機嫌な人
仕事をしていて
幸せと感じる人もいれば、
同じ仕事をしていても、
なんだか不機嫌な人もいます。
同じように
日常の何か話をしていても、
楽しい話をする人もいれば、
話をしていても、日々つまらない、
不満、愚痴などの話をする人もいます。
幸せになる人は、
特に理由もなく生きてるだけで幸せだと言う人もいれば、
不機嫌になる人は、
たくさんの理由を見つけ出して、不機嫌になっている人がいる。
幸せを感じている人がもたらす波及効果。
不機嫌に感じている人がもたらす波及効果。
これは、どちらも同じように強力で、伝染するものだと思います。
何もなくても幸せを感じている人。
きっとそこには、
大切なものや、幸せと感じるものが、
自分の周りに溢れているのだと、気づける力だとも思います。
気遣いのできる人
自分にも、他人にも。
どんな気分になりたいのか。
どんな気分で生きていきたいのか。
幸せ?
不機嫌?
その気分になるための自分の気持、心の場所、
家をどこにするのかということ。
テレビのチャンネルを合わせるように、
自分の楽しい気分にさせてくれるものにチャンネルを合わせる。
うまくいっていないことが人生にはたくさんあるけれど、
うまくいっていることも、常に人生には溢れている。
ナチュラルな自分が、
幸せでいることができるところに、
生活のチャンネルを。
心がいつも戻るところの家へ。
今あるものに、満ち溢れているもの、感謝あるものにチャンネルを合わせていく、
時折はどこかへ感情が動いたとしても、
やっぱり心が戻って帰る家は、幸せな感情の場所でありたいです。